六畳間の手記

とある郊外の六畳間の住民が思ったことをつらつらと……

序文

このブログの名前は、分かる人には一目瞭然だろうが、ドストエフスキーの「地下室の手記」に因んでいる。

19世紀ペテルブルグの或る家の地下室で、40のがらみの元官吏という独身男が、極端な自意識過剰からくる社会やこの世界の・周囲への侮蔑・自虐・過去の自分の罵倒を長々吐き散らす。読んでいて爽快感もなけりゃ盛り上がりもしない。ただ男の言うことに心の何処かで賛同してしまい、彼の過去の話に身につまされる。

そんな小説に名前を因んだのは、自分もこの男に奇妙な親近感を抱いて、男と同じ真似をしているからなのかもしれない。

即ち自身の属する集団への侮蔑・自分の卑下と周囲への嫉妬・自虐・過去の自分の罵倒を、この札幌郊外の六畳間でグダグダと考え続けているということだ。

この六畳間は私にとっての牢獄だ。郊外も郊外のこの場所は気軽にどこかに出かけるには自転車か車が必要で、私は前者しか持っていない。出不精の運動不足にとっては自転車を漕ぐことも一苦労だ。

その上私は怠惰と仕事らしい仕事もないので金も無い。だからただでさえ貧弱な公共交通機関を使うのも躊躇われて、そして外で金を使いたくないから、夏でも冬でも外に出るのは億劫になる。そうして億劫を理由に六畳間に籠もっていると自分の感性も性根も腐って、怠惰と自意識過剰が染み付き、腐敗と怠惰のスパイラルに飲み込まれるのだ。

(因みに私は学生時代適当な就活をした結果見事に就活に失敗しており、勤め人として就職をしてみようという気持ちになってみて、何度かハローワークに足を運んだりマイナビを使ってみたこともあったが、いつも失敗して、母には「あんたに勤めは無理だ」とさえ言われて止めている)

 

このブログはとりあえず、怠惰と自意識過剰と牢獄からの脱出の妄執に取り憑かれた自分が、この牢獄の中で思ったことをどんどん書き連ねていこうと思う。

書くことは恐らく好きなものを褒める事、自分の理想、その理想と現実の違いに打ちのめされた話、そうでなければお得意の似非分析や似非批評などになるのだろう。

気取った文やブレた主張、鼻持ちなら無い主張を図らずも書いてしまい、気を悪くする人もいるかもしれない。

それでも読んでみたいと思う人や、自分の感性に共感できる人は、是非自分の駄文でもよければ読んで貰いたいと思う次第である。